雨奇晴好(うきせいこう)


これは中国北宋の詩人の蘇東坡 (そとうば)の言葉です。
この言葉が述べているのは、「物事の悪い面を捉えないで良い面を捉えることが大切」ということです。
物事の良い面を捉えて、前向きな明るい気持ちで生きていくのがいいということです。
物事の残念な面やマイナス部分に意識が囚われると欲求不満が生まれます。
それが高じると苛立ちになり、怒りになってしまいます。


そういった感情が心を乱す原因になります。
物事の喜ばしい面やプラス部分を常に見つけ出すようにしてそれを習慣にすれば、人生に起こる様々な出来事に心が動じることなくいつでも明るい気持ちで生きていけるようになります。
たいていの出来事はプラス面を見つけ出す気になればいくらでも見つかります。
例え苦しい出来事でもプラス面は必ず見つかります。

共感できる人に聞いてもらう


人は他人の話を聞く時に、「共感」することよりも「解決」することに重きをおきがちです。
「会社の上司が厳しくて辛い」と相手が愚痴をこぼした時、「そんな上司こそ、自分を成長させてくれるありがたい存在だと思って前向きに頑張るしかないよ」と、つい説教っぽくなってしまいます。


しかし、それでは言われた方の心はスッキリしません。
こういう時はその問題を解決しようとしないで、相手の気持ちに寄り添うことを意識しましょう。
励ますことより「それは大変だったね」と、一緒に苦労を分ち合う方が相手を癒す効果があります。
実は相手を癒すことで自分も癒されるのです。

少食は健康の原点


一粒の米、一枚の菜っ葉といえども、天から与えられた大切な命として感謝合掌して頂き、決してこれを無駄にしないという考えで食事をすることが健康法の最も大切な基本で、これが「少食」の思想ですが、要するに「できるだけ殺生をしない」という愛と慈悲の具体的表現です。
しかも愛と慈悲の行為である少食は、実はまた健康法の秘訣となってくるところに、神の配慮を感じ取ることができます。


少食が守られず過食を続けている限り、他にどのような健康法を実行し、一時的に健康になるように見えても結局は病に倒れ、長寿を全うすることができないということです。
「いのち」を無駄にするような人間本意の横暴は、天が絶対に許し給わぬということでしょう。
愛と慈悲の行為である少食を実行する者のみに真の幸せが与えられるというわけです。

良いと思ったことはどんどんやる


良いと思われることはどんどんやりましょう。
もし結果が良くなくてもやらないよりはよっぽどましです。
この世は協力と調和を表現し、経験して学び取る世界です。
怠りなく励み行動することが、私たちがだんだんと本物の自分に近付いていくことが出来るただ一つの方法だからです。

血を汚さない


病気にはそれぞれ異なった名前が付けられていて、何千もの病気があるような錯覚をしてしまいますが、ほとんどの病気の原因は一つしかなく根源は同じ毒血症です。
毒血症とは「蓄積された不要な老廃物や、誤った食習慣のために体内で形成される有害物質、及び加工食品に含まれる添加物などの毒素が、血液に入って生ずる全身的な中毒症状」のことです。
ところで、人間の体には浄化力、治癒力、機能維持力というものが生まれた時から誰にでも備わっています。
体は常に有害な老廃物を浄化し、健康体になるべく努力を欠かすことはありません。


しかし、私たちの体は悪い物ばかりを体内に入れ放っておいては、やがて機能に支障が出てきます。
「歳を重ねれば誰でも病気になるのは当たり前」と妙に納得することなく、気付いた時から血を汚すようなものは出来るだけ体に取り込まないように注意しましょう。
既にかなりの量の悪いものを取り込んでいたとしても毎日、熱処理をしない新鮮な野菜と新鮮な果物を積極的に摂るようにすれば、数ヶ月で体が浄化されて必ず体調は改善されます。
何よりも、何をやるにも、まず健康であることが大切です。