言ったようにやり、やったことを言う


口では良いことを言いながら、それを実行しない人は運命を切り開けません。
言ったことをしっかり実行できる人が幸運に恵まれます。
子どもに「本を読むと頭が良くなるから、もっとたくさん本を読みなさい。」と教えておきながら、親自身が全く本を読まないのでは子どもはその親の言うことは聞かなくなるでしょう。


「なぜ、こんな簡単なこともできないんだ!」と部下を叱るばかりで、「こんな簡単なこと」を自分でやってみせない上司は尊敬されず、口先ばかりだとバカにされるようになります。
「許すことが大事だよ。」と助言するのであれば、あなたも人を許すことができないといけません。
自分の言葉を実行すること。
それが信頼され、尊敬される人になる一番の方法です。

執着、愛着の重さが人生の苦しみとなる


軽やかに清々しく生きたいのであれば執着、愛着の一切を捨てることです。
微塵でも残したりすれば、その分だけあなたはまだ重いのです。
若い時にはその重さに耐えられるでしょうが、いずれはその重さが人生の苦しみになるでしょう。


棄てましょう! 
愛着を。 
執着を。

一つの物事には色々な見方がある


どちらが良いか悪いかではなく一つの物事には色々な見方があります。


1、コップに半分の水が入っている時、「これしかない」と思うか、「まだこんなにある」と思うか。
2、物が壊れた時、イライラするか、「そろそろ取り替える時だな」と思うか。
3、何かをなくした時、ひたすら後悔するか、「あれはもう自分には必要ないモノかもしれない」と思うか。
4、態度の悪い人に会った時、相手の非を追及するか、「自分も気を付けよう」と思うか。
5、タッチの差でチャンスを逃してしまった時、自分の運の悪さにガッカリするか、「もっと良いものがまわってくる」と思うか。
6、物事が思う通りに進まない時、無理に動かそうとするか、「今はその時期ではない」と長い目で見るか、それともその時点で諦めるか。
7、過去に起きたことに対して自分を責め続けるか、「それによってこういうことが分かって本当に良かった」と収穫したことだけに焦点を当てるか。


上で挙げた例のように、どちらが正しいか間違っているかではなく、視点を変えると色々な見方があると知ることです。
自分の心が穏やかになるように、明るくなるように見方を変えてみましょう。
起こる物事を全て肯定的に受け止め、マイナスのエネルギーによって心が動揺しないようにしましょう。
マイナスのエネルギーを作り出しているのは、自分の捉え方だということを知ることです。

「おかげさまで」という受け止め方ができるように


本当は待ち望んでいたことがやってきた時よりも、困ることがやってきた時に人間は人間になれるものです。
人の世には悲しみを通さないと見せて頂けない世界があるものです。


皆さんも色々な悩み、苦しみ、心配事を持っているかもしれませんが、そのことを経験した「おかげさまで」というような受け止め方ができるようになると、そのことを通して深みや優しさが増して人間性が高まっていくでしょう。

穏やかな心の持ち主でありましょう


穏やかな心は自己コントロールの長く粘り強い努力の結果です。
それが存在する場所には常に成熟した人格と、「原因と結果の法則」に関する確かな理解が存在しています。
人は自分が「思い」によって創られた存在であることを理解すればするほど、より穏やかになります。
なぜなら、その知識は自分以外の全ての人達も同じようにして創られた存在であるという認識を自然に促すことになるからです。


「思い」と人格、ひいては人生との関係を理解して原因と結果の観点から、あらゆる現象をより正しく眺められるようになることで人は不平を言い、苛立ち悩み悲しむことをやめ、より安定した穏やかな心の状態を保てるようになります。
人々は常に冷静で穏やかに振る舞う人間との関わりを好むものです。
穏やかな心の持ち主は常に愛され敬われます。