どんなことにも意味を見出し、人生を面白がること


人はどんな状況も、そこを足場にしなくてはなりません。
孤独なら孤独で、それを立ち位置にして、自分が面白いと思うことをやっていく他はないのですから。
立ち位置と言っても足場が悪くて、よろめくことも当然ありはしますが、ふと気が付くと、隣に手すりがあったり、手を差しのべてくれる人がいたりすることもあります。
してもらうことを期待していると不満が募って、つい愚痴が出ます。
老人の愚痴は他人も自分もみじめにするだけで、良いことは一つもありません。


それどころか、愚痴ばかり言う老人のそばには人が集まらなくなります。
愚痴は日陰の感じを与えるからです。
反対に、何でも面白がっている老人には陽の匂いがして人が寄ってきます。

時折、常に穏かで、どんなことがあろうと苛立たず、周囲にいる人全員を和やかな気分にさせる徳のある老人がいます。
「特性を有する」とはどういうことでしょうか。
規定することは難しいのですが、一つの目安はどんなことにも意味を見出し、どれだけ人生を面白がれるかということだろうと思われます。


通常、年を重ねた人は、世間の事柄を分析することと、その奥にある密かな理由を推測することに長けてきます。
だから、簡単には怒れなくなるものです。
しかし、最近は分別盛りの中年や世故に長けたはずの老年の中にも、すぐ怒る人が増えてきているようです。

それぞれが自分の生き方と好みを確立して、他人と同じでないことにたじろがず、自分とは違う人を拒否せず、どんな相手にも生き方にも、どんな瞬間にも、どんな運命にも意味を見つけることが大切です。

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