仏教では出来事は無記、つまり、善悪は記されていないと考えます。 それぞれの出来事をどう受け止めるかによって善悪が決まってくるといいます。 どんな出来事も善と受け止める努力を続けていくと、事態が良くなる方に繋がっていきます。 そうしていると、あらゆる事象はすべて善につなげられ、困ったことはなくなり、... 続きをみる
2022年6月のブログ記事
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この世はすべて因果関係で動いておりますが、その人の心のレベルにふさわしい「果」をいただいております。 心のできていない者が同じことをされたとしても、心の出来ている人と同じ「果」をいただくことはできません。 毎日、毎日、生涯にかけて出来る限り努力しましょう。 世のため人のためになることを出来る限り心... 続きをみる
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若い人は常に大人の背中を見ています。 子供の頃と違って、大人のやり方を理屈抜きに受け入れてマネをすることはないにせよ、生き方の参考にしたいと思っているものです。 若い人は年長者の姿を通して、自分がどう年を重ねていくかを考えるものなのです。 そういう意味で、部分的にでも若い人から「あの人のようになり... 続きをみる
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どんな時にも頭からすぐ否定的な言葉を使わないで、笑顔で「そうだね」と言ってあげましょう。 どうしても出来ないと思われましたら、「努力してみましょう」と応えることです。 これを続けていきますと、相手は無理を言わなくなります。
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人生は心であり、観念です。 心が観念が私たちの人生を極楽にも、地獄にもすることができるのです。 よく考えてください。 今の生活が、今の状況が「極楽だ、地獄だ」と感じているのは心なのです。 心が地獄と感じれば地獄になってしまうのです。 私たちの人生が。 今の状況が。 だから、何かがあれば、「ああ、楽... 続きをみる
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よく、往生際が悪いという表現をしますが、どのような姿であれば、往生際が良かったということになるのでしょうか。 臨終の場にあって、見守ってくれている家族に向かって、ニッコリしながら、「それではお先に逝かせてもらうよ。長い間お世話になったね。皆も仲良くいい人生を送ってくださいね」。 このようなお別れが... 続きをみる
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「幸せ」と「自分の居場所」は目の前にいる人を大切にした時に得られる
自分の幸せというのは、自分ひとりが大儲けすることでも、自分ひとりだけが美味しいものを食べることでもありません。 自分の目の前にいる人が幸せになること。 目の前にいる人を幸せにすることが自分の幸せなのです。 人に喜んでもらうと、今の世の中でなかなか得られない「自分の居場所」という、とても大切なものが... 続きをみる
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この世の中は案外厳しい。 どんなに一生懸命がんばっても認められなかったり、否定されたりすることが多いものです。 だから苦しい。 そういう人の話を笑顔で、うなずいて聞いてあげる。 すると、相手はそれだけで救われます。 認められたように思い、居場所が見つかったような安らぎや安心感を抱けます。 分かって... 続きをみる
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出会いというのは、何も遠くの人に会いに行くことではなく、日常で目の前にいてくれる人、来てくれる人を大切にしていた時に向こうからやって来るものなのです。 今、目の前にいる人に自分の力を出し切って喜んでもらうこと。 目の前に来てくれた人を大切にすること。 そうやって目の前の人に喜んでもらおうと本気で付... 続きをみる
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世の中で当たり前だと思っていたことが、実は当たり前ではなく、とても有難いことであったのだという気づきが必要です。 たとえば、目が見えること、口から食物が食べれること、自分の足で歩けること、耳が聞こえること、雨露をしのげる家があること、三度三度の食事ができていること、毎日布団の中で寝ていること、蛇口... 続きをみる
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人を愛し、人に対して思いやりの気持ちを持ち、自らさまざまなことを学んで知識を増やし、信じることができるように努力し、さらに、折々に心を見直しながら反省していくことを繰り返すことによって明るく生きていくこと。 そうして知り得た知識なり経験を、後半生には惜しみなく若い人々に伝え、社会に還元していくこと... 続きをみる
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心の思いである言葉でマイナスの言葉を述べたてることは、その影響が他人にも自分にも及んできます。 自分の言葉を一番よく聞いているのは自分の耳であることを忘れてはなりません。 健全で健やかな人生を送りたいと望むのであれば、言葉の力を意識して、善きことを多く言い、悪しきことをできる限り言わないようにしま... 続きをみる
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病人は、老人と同じように「労わってもらって当たり前」という精神構造に陥りやすいので、自己中心になりがちです。 体が辛い時はやはり不機嫌にもなるし、「なんで自分の辛さがわからないんだ」と腹も立つでしょう。 それは仕方ないことだと思います。 しかし、当然だからといって、そのまま、そのような顔をしていて... 続きをみる
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できるだけ病気はしないと決めて、あらゆる予防処置をした方がいいでしょう。 しかし、充分気をつけていたつもりでも、病気がない人生は非常に少ないでしょう。 そうであれば、「機能とか五感が正常であるのが人間だ」という考えを変えた方がいいでしょう。 つまり、病気も込みで人間、良いことも悪いことも込みで人生... 続きをみる
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老齢を重ねると、利己的になったり、忍耐力がなくなっていく人が少なくありません。 年を重ねることの特徴、あるいは悲しさと言ってもいいのですが、程度の差こそあれ、この二つは誰にでも見受けられます。 老齢にやや意図的に逆らって自分を若々しく保ちたいなら、まず利己心を戒め、忍耐力を養うことです。 他者への... 続きをみる
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人はどんな状況でも、そこを足場にしなくてはなりません。 孤独なら孤独で、それを立ち位置にして、自分がおもしろいと思うことをやっていく他はないのですから。 立ち位置と言っても、足場が悪くてよろめくことも当然ありはしますが、ふと気がつくと、隣に手すりがあったり、手を差しのべてくれる人がいたりすることも... 続きをみる
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生涯の豊かさは、この世でどれだけ「会った」かによって測られる
人は頭が良くなくても、地位やお金がなくてもいいから、朗らかで、物事を好意的に見られて、世の中を面白がって暮らせたらいいのではないでしょうか。 その人の生涯が豊かであったかどうかは、その人がどれだけこの世で「会ったか」によって、測られるのではないでしょうか。 人間にだけではなく、自然や出来事や、もっ... 続きをみる
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結局のところ、人は一人で生まれてきて、一人で死にます。 家族がいても、生まれてくる時も死ぬ時も同じ一人旅です。 人生の過程の一つとして、「老年は孤独と徹底して付き合って死ぬことになっている」と思っていたほうがいいようです。 ひと口で言えば、老年の仕事は孤独に耐えること。 そして、孤独だけがもたらす... 続きをみる
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老年は、一つ一つ、できないことを諦め、捨てていく時代かもしれません。 執着や俗念と闘って、人間の運命を静かに受容するということは、理性とも勇気とも密接な関係があるはずです。 諦めとか禁欲とかいう行為は、晩年を迎えた人間にとって、素晴らしく高度な精神の課題ではないでしょうか。
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若い時は見栄を張りたいこともあるでしょう。 しかし、長い間生きてくると、いくら隠しても所詮、その人がどんな生活をしているのか、大体のところはバレるものですから、見栄を張っても仕方ないと気づきます。 晩年が近づけば、何もかも望み通りにできる人など、一人もいないことが体験的にわかってきます。 「分相応... 続きをみる
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病気は嫌なことをしなければ治りません。 好きなことばかりしてきたから、好きなものばかり食べてきたから病気になったのです。 話は簡単。 病気の治し方は、自分が嫌なことでも体にいいならば、しなければいけません。 自分が嫌いなものでも体にいいなら食べなければいけません。 バランスが崩れているのです。
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この世の中は思い通りにならないことだらけです。 世の中のことはすべて、少し諦め、思い詰めず、ちょっと見る角度を変えるだけで、光と風がたくさん入ってくるようです。
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子どもはせめて月に一度、それが無理なら春夏秋冬それぞれの季節に一度ずつ、それさえ無理なら年に一度は、義務としてでも親を訪ねること。その時、親もできるだけ家をきれいに片付け、こざっぱりした衣服を着て、自分の体力と収入の範囲で、心のこもった食事を用意するといいでしょう。 そして、楽しい話をしましょう。... 続きをみる
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「親しき仲にも礼儀あり」というのは、友達関係だけではなく、夫婦や親子の間でも必要です。 家庭は気を許してもいいところですが、だからといって、相手を傷つけるようなことを平気で口にしたり、不愉快さを絶え間なくぶちまけてもいい、というものでは決してありません。 年をとろうと、それは同じです。 老いれば、... 続きをみる
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「受けるより与えるほうが幸いである」と聖書にあります。 これは信仰の問題ではなく、心理学的実感としても正しいでしょう。 ただ受けているだけの人は、もっと多く、もっといいものをもらいたいと際限がなくて、夫が(妻が)「してくれない」、嫁が「してくれない」と不満が募ります。 しかし、与える側に立つと、ほ... 続きをみる
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生きることは働くこと。 老齢になって大事なのは、地域でどのような働きができるかではないでしょうか。 「何をしてもらうか」ではなくて、「何ができるか」を考えてできることを淡々と遂行するようにしたいものです。 老齢になっても、掃除なんかくだらないとかつまらないとか、そういう眼力しか養えていなかったとし... 続きをみる