神は常にすべての者に語りかけています。 問題は誰に語りかけるかではなく、誰が聞こうとするかです。 ところで、言葉で語り合おうとすると、途端に言葉のもつ制約に縛られることになるため、神は言葉以外でもコミュニケートします。 それどころか、言葉はめったに使いません。 一番多いのは感情を通したコミュニケー... 続きをみる
2022年10月のブログ記事
-
-
難題や困難を避けようとしてはいけません。 難題や困難を歓迎しなさい。 心から歓迎しなさい。 神様からの偉大な贈り物だと思いなさい。 他との関係の中で、そして、人生でするべきことができる栄えある「機会」だと思うことです。 困難にぶつかった時、パートナーを敵や対立相手と考えないように努力しなさい。 ど... 続きをみる
-
-
本質的に重要なものは何もありません。 私たちが出来事に意味を付け加えて重要なものにしているだけです。 世界(宇宙)は、ある状況を与えることはできますが、その状況が何を意味するのかを決めるのは私たちです。 私たちが選択しなければ、何事も重要なことにはならないということです。 「重要なものは何もない」... 続きをみる
-
-
あなたは何になりたいか、何をしたいか、何が欲しいのか、よく考えなさい。 はっきりするまで考えなさい。 そして、ハッキリしたら、今度は他のことは考えず、他の可能性を想像しないこと。 否定的な考えは頭から追い出しなさい。 悲観主義を一掃しなさい。 疑いを捨てなさい。 不安を拒否しなさい。 最初の創造的... 続きをみる
-
この世には絶対の立場もあり、それが正しいという場合もあります。 また、相対の立場もあり、それが正しいということもあります。 「これしかない」という生き方は行き詰まった時に、それ以外の考えができず、すべてを破綻させてしまいます。 鬱病や自殺がその結果として起こることもしばしばです。 だから、一つの考... 続きをみる
-
あなたの判断を神様は判定しません。 それは良い、これは悪いと、神様は決め付けることはしません。 ただし、こうありたいという自分を考えた時、今の行動はそれにかなっているか、振り返ってみなさいと言います。 神様は何事もあなた自身で考えて選択することが大事だと教えます。
-
私たちは自分の現実の創造者です。 そして、人生は私たちが予想するようにしか展開しません。 考えることは現実になります。 これが創造の第一歩。 私たちの「考え」は全ての物事を誕生させる親です。
-
物事は、あなたがそう言うから、正しいことや間違っていることになるのであって、それ自体に正邪はありません。 何かを「正しい」と考え、何かを「間違っている」と考えるのは、一方的な決め付けだということを覚えておきましょう。 「正しい」、「間違っている」というのは、物事の本質ではなく個人の主観的な判断です。
-
-
-
外に向かってではなく、内に向かって「この災厄(悪い出来事)を前に、今の自分は何を体験したいのだろうか。自分のどの部分を引き出したいのか。」と問いかけましょう。 人生のすべては自分自身の創造の道具、そして、出来事のすべては自分が何者なのかを決定し、その自分になる機会を与えるために存在しているのですか... 続きをみる
-
-
人間関係の目的は一つしかありません。 本当の自分は何者であるかを決め、本当の自分になることです。 それは人生の全てに言えることです。
-
事が成るには時節因縁といって、その時期が熟さないと可能になりません。 ですから、一生懸命にやっているのに良い仕事ができないということをもって、努力が足りない、才能がないなどと思ってはいけません。 一生懸命にやっているということが徳を積むこと、つまり、業(ごう)の貯金通帳に預金するということになるの... 続きをみる
-
何もこの手に持たずとも求める心ひとつあれば、教えてくれる人・情報(本など)が現われ、必要に応じて導かれるものがあって、それらを頼りに例え一歩でも前進しようとしていると、次々と場面が展開していきます。 そうして、途中で戸惑うことや不安なことがあったとしても、そこに辿り着きたいという気持ちが本気であり... 続きをみる
-
-
誰か一人が賢くなったらいいのです。 一人賢い人がそこに出てくるだけで、周りがより良く変わってくるものです。 あなたが先に、誰よりも先に仏様のようになればいいのです。 「あの人がどうのこうの。世間がどうのこうの。」と文句を言ったり、他人を変えようとするのをやめて、まず先にあなた自身を変えれば周りも自... 続きをみる
-
真に覚醒した者達の悟りとは、結果には決して執着しません。 喜びは創造にあるのであって、その結果にはありません。 悟りとは行為を否定しようと決意することではなく、行為の結果には意味がないと理解することです。 悟りとは情熱を否定することではなく、結果への執着を否定することです。
-
この世の中には、自分にとって良い人もいれば、良くないことをしてくる人や、嫌なことをしてくる人もいます。 また、良いものもあれば、良くないものも蔓延しています。 良い時間もあれば、嫌な時間もあるものです。 しかし、本意・不本意に関係なく、すべての人と物と出来事と時間と流れは何かしら、例えほんの少しで... 続きをみる
-
-
あなたが自分のことを「私はこういう人だ」と言ったら、宇宙は必ずあなたをサポートします。 もし、あなたが「人生は苦しく、努力して生きていくものだ」と信じていたら、宇宙はそういう風に苦しく努力しないといけない人生を与えます。 しかし、反対にあなたが「私は非常に楽に自然に何でも手に入れていいんだ」、「自... 続きをみる
-
-
誠実な行いほど尊いものはありません。 言葉や文字でいくら良いことを書いたり言ったりしても、実際に行わなければ何にもなりません。 行いがその人のすべてを決定します。 誠実真行万理を識(し)るにまさる・・・五井昌久(宗教家)
-
今までの人生の中で一番ワクワクすることを行う時、今回の人生で自分が選んだ道に一番調和していることになります。 ですから、もし、何もしない、何も作らない、何も願わない、それが自分にとって一番ワクワクするのだったら、そうしてください。 でも、その表現の仕方に少し飽きたら、もっと別のものにワクワクするか... 続きをみる
-
飽食の時代を迎え、食べ過ぎは良くないと、多くの人が理解しています。 江戸時代、日本一の観相家といわれた水野南北は、節食開運説なるものを唱え、食べ過ぎなければ運は開けると説きました。 「三食のうちの一食くらいは、天に奉ずる気持ちが大事」と南北は言いました。 空腹を我慢しろというのではなく、おいしいご... 続きをみる
-
せっかく自分が欲しかったものを手に入れることができたのに、「欠乏感」を抱きながら、お金の支払いをする人がいます。 「あーあ、これでまた、一万円札が減っちゃったよ」。 暗い気持ちで渋々お金を支払います。 お金を使うことに対してマイナスイメージを持っている人のところに、お札は集まってくれません。 お金... 続きをみる
-
お釈迦様は、大きな欲望を持つ人は必ず大きな苦しみにあう、欲望を減らす者は苦しみも少ないと説かれました。 達磨大師も「求むるところあるは皆苦なり」と言われました。 このような苦しみから逃れ、心豊かに生きるには、どのようにしたらよいのかということになります。 お釈迦様は、苦しまないようにするには考えな... 続きをみる
-
「現実」は、それ自体が意識や意志を持っているわけではありません。 私たちが、それに選択を与えなければ、現実が勝手に変わっていくことはありません。 否定的な選択を与えれば、否定的な結果が出てきます。 肯定的な選択を与えれば、肯定的な結果が出てきます。 本当は中立である現実、状況にいつも肯定的な意味を... 続きをみる
-
自分の中にある「感情」や「観念」や「概念」、そういったものを変えるだけで自分はもちろん宇宙全体が変わってきます。 ほんの小さな変化が宇宙全体を完全に変えます。
-
仏教では私たちの思うこと、言うこと、行うことのすべては業(ごう)という貯金通帳に蓄えられることになっています。 特に、人に知られずに行う良いことは、大きな利子がついて、その貯金が多くなり、その結果もたらされる幸せの程度も大きくなるといいます。 「陰徳は耳鳴りのごとし」とは、まさにそれを表す言葉で、... 続きをみる
-
-
一見、不快に思える現象、出来事に遭遇しても、そこからメリットを見つけ出し、「そのおかげで、こうすることができる」と、自分にとって有益になる要素を探し出していけば、マイナスに傾いていた気持ちはプラスに切り替えられます。 発想を良い方向に転換していく習慣を身につけておくことはとても大切です。