来るものを「よし」として受ける


来るものをして一応すべて来たらしめよ。
「来るもの」が時として「人」であることもあれば、「事」であることも「物」であることもあります。
それらは必ずあなたに何かを与えるためにやって来つつあるのです。
教訓を持ってきてくれることもあれば、経験を持ってきてくれることもあり、富を持ってきてくれることもあります。


時として損失を持ってくるかのように見えることもあるかもしれませんが、それを静かに受けて省みる時、それは魂にとって必ず何らかの収穫を持ってきてくれているため、決してそれを嫌ったり呪ったりしてはなりません。
すべてのものはそれを素直に受けて味わう時、きっと何らかの益となります。


それらが損失と見えるのは自分がある立場に固執してある立場からのみ、それを見るからです。
人生のあらゆる経験において「絶対損失」となるものは一つもありません。

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