陰徳は耳鳴りの如し


仏教では私たちの思うこと、言うこと、行うことの全ては業(ごう)という貯金通帳に蓄えられることになっています。
特に、人に知られずに行う良いことは大きな利子が付いてその貯金が多くなり、その結果もたらされる幸せの程度も大きくなるといいます。
「陰徳は耳鳴りの如し」とはまさにそれを表す言葉で、「耳鳴り」とは自分だけが分かり人には分からないという意味です。
歳を取ってくると徳を積む、徳を失わないということが心の安定、幸せにどんなに大事かはいくら述べても述べ過ぎることはないくらいです。


もし、幸せになりたいなら、心が楽になりたいなら今からでも遅くはありません。
他人に親切にして他人の心を傷付けないようにすることです。
それも誰にも自慢せずにやるという生き方に切り替えてください。
山岡鉄舟は「この世は人のためなどということはありませんぜ」と云いました。
他人のためにやれば、業の貯金が積まれて結局自分のためになるということです。


良いことをするということは結局は自分のためなのです。
ところで、良いことをしたから今後何か良いことがあると、執拗に見返り(報酬)を期待してはなりません。
良いことをした時点で報酬は既に与えられていると考えましょう。
なぜなら、あなたには良いことができる高貴な精神性と優しさが与えられたからです。

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