「健康感」を持って生きる


最近は検査の機械が精密になってきて、健康体にもどこかしら不具合があることが見つけられてしまいます。
もっと言えば100人いたら100人が、遺伝子レベルでは病気の因子を持っているのです。
皮肉なことに医学が進歩すればするほど、病人が増えてしまうという見方も出来ます。
検査の結果がどうであれ、そんなに落ち込むことはありません。
まして、病気を敵と見なして戦う決意をする必要はありません。
病は人間の属性ですから、健康に100点満点を求めることは無理な話なのです。


検査して「アラ探ししたら病気が出てきた」くらいに受け止めましょう。
そして、「さて、これから病気とどう上手に付き合って生きていこうか」という風に考えましょう。
例えば、高血圧の人は降圧剤で血圧をコントロールしながら元気に働くことが出来ます。
糖尿病の人も食事療法や運動療法を取り入れて、何も差し障りなく健康に暮らしていけます。
それに80歳、90歳という老人と呼ばれる年齢になれば、脳に多少の梗塞(血管の閉塞があるものです。


「四肢が麻痺するかも」、「認知症のような症状が出るかも」といったことを必要以上に心配する必要はありません。
至って健康な人でも小さな血栓ぐらいあります。
病気を「あって当たり前」と受け入れれば、健康人として生きていく道が開かれるでしょう。
つまり、病気になっても病人にはならず、「健康感」を持って生きることが大事なのです。
病気はないに越したことはありませんが、いちいち気に病んでいると心が休まりません。


いつもビクビク、オドオドしていたのでは生きる喜びも半減してしまいます。
病気と共に上手に生きる・・・。
「有病息災」を目指すことこそが健やかに生きることに繋がります。
多少健康に問題があると指摘されても、「健康感」を持って生きることを心掛けましょう。

アーモンドの効能


今から140年以上前にアメリカのケンタッキー州ホプキンスヴィル町郊外に生まれたエドガー・ケイシーは、催眠状態になって宇宙意識のようなものに繋がって、色々な質問に応えて実に適切な答えを出して人類に多くの情報をもたらしてくれました。
ケイシーの喋った言葉は記録されていて「ケイシー財団」に保管されています。
今はネットでも全部見られるようになっているそうです。
ところで、ケイシーはこの「リーディング」とよばれる記録の中で、実にたくさんの病気治療の助言をし、個別の患者ごとにほぼ完璧に病気治療、改善を行っていました。
100年以上経った現在まで、世界中の何百万の人達が彼の恩恵に預かり救われているそうです。
今日は彼がアーモンドに関して云っていたことのいくつかを紹介します。
癌の予防や治癒、改善に役立ちます。


「一日に2,3個のアーモンドを食べる人は、決してガンを恐れる必要はない。」 
(1158-31)
「もし毎日1個のアーモンドを食べ続けるならば、決して身体のどこにも腫瘍やそのたぐいのものを築きあげない。日に1個のアーモンドは、りんごよりももっとはるかに医者知らずにする。特にある科の医者には用事がなくなる。」
(3180-3)
「一日2個のアーモンドを食べつづけるならば、決して皮膚にシミができない。身体は癌になろうとしないし、身体の中では自分の力で皮膚を汚くしようとしなくなる。」


ちなみに、ここでケーシーの言うアーモンドは「生アーモンド」です。
スーパーなどで普通に売られているのは、焙煎されていて食塩が加えられています。
大切な成分が破壊されているのでダメです。
アーモンドはビタミンEが多いため若返りにもいいです。
また、GI値(血糖値を上げる数値)が低いので糖尿病の人にもオススメです。
ダイエットにも効果があります。
アーモンドの効能を調べると、とてもいいことだらけです。

心に良い癖をつける


本当に自由な心とは「どんなことがあっても波立たない、拘らない心」です。
しかし、人は長年に渡って形成されてきた心の癖のために、なかなか真の自由というものを得られません。
自由になる道は遠いものです。
しかし、良いことを繰り返し行い、心に良い癖をつけていけば必ずそこに辿り着けます。


水が一滴ずつしたたり落ちて、やがて瓶を満たすように少しずつ、ゆっくりでもよいのです。
道を歩いていて落ちている空き缶を拾ってゴミ箱に入れる、汚れていたら少し拭いてきれいにするなど、そんな小さなことからやればよいのです。
それが習慣になって心に良い癖がついていきます。
反対に「悪いこと」はどんな些細なことでもやってはいけません。


些細なことでも放置しておくと、やがて心に悪い癖がついてしまうからです。
心についた癖はそう簡単には変えられません。
そのため、正しい癖をつけるようにしなければなりません。
いったん悪い癖がついたら、どんどんそれが強化されていくので不幸になってしまいます。
良い癖をつけた人々は幸福になっていきます。

良い人、良いものに交わると運が良くなる


曹洞宗の開祖、道元の言葉に以下のようなものがあります。
「古人云(いわ)く、霧の中を行けば覚えざるに衣しめると。よき人に近づけば覚えざるによき人になるなり。」
昔の人は霧の中を歩いていると、知らないうちに衣が湿ると言っている。
それと同じように、よき人のそばにいると、知らないうちに自分もよき人になっているということです。

道元のこの言葉は実は運を良くする真髄を教えているのではないかと考えます。


どんな才能のある人でも、悪い人の中に交わっていては運を良くすることはできません。
良き人に交わり、良き言葉、良き教えに触れていくことこそ運を良くする根元であると考えます。
陽明学者の安岡正篤先生も以下のように仰っておられます。
「人間はできるだけ早くから良き師、良き友を持ち、良き書を読み、密かに自ら省み、自ら修めることである。人生は心掛けと努力次第である。」

しがみつかない生活


学問によって人は清らかにはなりません。
誰かの教えによって人は清らかになるのではありません。
知識がいくらあろうとも、道徳をどれだけ知っていようとも、戒めを守った生活を送っていようとも、そのことで人は清らかになるわけではありません。


そんなことに拘らないこと。
何かにしがみつかないこと。
それでいて平安であること。
そこに清らかさが生まれるのです。